おそ松さん第2期 第1話「ふっかつ おそ松さん」感想

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OPめちゃくちゃ良かった

 

【ストーリー】

大人気アニメとなった「おそ松さん」のその後の世界を描く!残酷な真実を知ってしまった幼い兄弟の選択とは?彼らは夢見た未来を掴むことができるのか!?

 

 

 

【イチオシポイント】

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「もしかしてあいつらのファン…?」

このいかにもイケてない女子たち…痛バッグとかうちわとかの小物だけでなく、スカートなのにガニ股だったり眼鏡の度がきつそうでサブカルっぽいフレームだったり髪色が全体的に暗めだったりうつむいてスマホを見がちだったりいちいちリアルすぎじゃないですかね…(感動)

 

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\チャリーン/

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あくしゅ の がいねん が くずれる !!

 

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全体的に絵面が汚ねぇ…。チョロ松十四松トド松あたりが微妙にジ●リとかデ●ズニー感があるような気がするけど気のせいかな

 

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「そりゃあお前、松に決まってんだろ?… 松 だ け に」

絶望的に面白くなさすぎわろた

 

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「実は何を隠そう、あの六つ子達のアニメを作ったのはワスらなんダス」「俺たちの功績なんだよーん」

イキっても無視されるデカダヨコンビ、良さに溢れていますね

 

・ちゃんとしたおそ松さん

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ミサワかな?

 

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「ボクとトト子ちゃん、中身が入れ替わったんだ♪」「ふふふ♪」

ボクっ子kawaii

 

 

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ニートしてる六つ子達、実家のような安心感

 

【雑感】

面白いところは面白いながら、ちょっと惜しいなぁという感じもあったので以下そのあたりの感想。

まず冒頭について。1期は①「昭和のギャグマンガを代表するあの"おそ松くん"のリメイク」なのに②「六つ子がキャラ分けされてるビジュアルカット」「声優が超豪華」という事前情報があり、③かと思えば昭和そのままの「おそ松くん」で始まり、④なぜか某プリンス様を連想させるステレオタイプを誇張させた今風のイケメンパートが本編 という、アニメ放映前から仕組まれた何段階ものギャップの連続で面白かった。

今回は「おそ松くん」パロは1期ですでに「おそ松さん」の持ちネタとして消化されているので、「おそ松くん」パートを見ても1期にあったような意外性はない。完全に初見殺しになってしまうけれど、1期13話の「実松さん」くらい振り切ったテイストにしてもよかったのかも。

 

「ちゃんとした」パートは、チョロ松までは良いんだけど十四松トド松はメタすぎて謎の恥ずかしさに襲われてしまった。唐突な実写はものすごく人を選ぶよね…。雑誌や年代の差異くらいの違いでもよかったような気がする。おそ松のセリフをほか5人が繰り返すのも、ロボット変形→合体からのロボアニメパートの「ちゃんとした」アピールも説明過多でテンポが悪くなってしまっているし、ツッコミ不在のボケ倒し→モブキャラの暴動オチもなんとなく唐突感がある。

 

そして、全体を通しては六つ子のそれぞれの個性が見えづらかったことに不完全燃焼感があるように思う。1期1話はイケメンパートを通して(本編の性格とは若干の違いがあるにしても)6人のキャラを明確に示していたけれど、今回の1話にはそれが足りなかった。

Aパートでは調子の乗り方に若干の違いはあるものの、「総じてクズ」という見せ方をされていたし、Bパートでも誰がどのテイストにされてもあまり違和感がない。

キャラクターとしてのおそ松さんの人気は、キラキラした造形ではなくそれぞれのキャラクター性に依存したものだろう。カラ松が救いようのないナルシストで、チョロ松が自意識過剰なドルオタで、十四松がぶっとんでいるというキャラ付けがあってこそおそ松さんは人気になった。ニートが主人公の通常運転になるであろう2話が楽しみです。

2017年 視聴予定秋アニメ

ここ最近忙しさを理由にアニメを全然見ておらず、QOLの致命的な低下を感じているので今期は感想を残しつつ見ていこうなどという考えに至りました。

 

視聴予定のアニメは以下の通り。

 

少女終末旅行

今期の安定期待枠。これは原作コミック(既刊5巻)を持っているのだけど、とにかく雰囲気がいい。いわゆるポスト・アポカリプスもので、戦争によって文明が崩壊した後の世界で、2人の少女が旧式戦車:ケッテンクラートに乗って旅を続けるというストーリー。

文明の崩壊やそれまでの二人の暮らしについて多くは語られず、荒廃した文明遺産の中を食糧を求めて旅するのだけど、そこに悲壮感や戦争への怒りといった感情は介在せず、淡々と文明崩壊後の『日常モノ』として描かれる。

「気合い入れて頑張ろう!」とか「もう死ぬしかないんだ」みたいな極振りしたキャラがいなくて、希望と諦念のバランスがちょうどよいのでぜひ広まってほしい。アニメ良かったら円盤買う。

 

結城友奈は勇者である‐鷲尾須美の章‐ / ‐勇者の章‐

2014年10月にオリジナルテレビアニメとして放送された『結城友奈の章』の前日譚の『鷲尾須美の章』と後日談?の『勇者の章』の2章を1クールで放送。

鷲尾須美の章は、結城友奈の章を見た人にはバッドエンドが確定で見えているのでとてもつらい。友奈の章で報われると分かっていてもつらい。ついこの前まで普通の中学生のだった女の子が、理不尽な世界の意志でかけがえのない友達と永遠に別れ、2年間を孤独に過ごす未来を考えるともうつらい。でも乃木園子ちゃん激推しなので見る。括目して見る。

勇者の章は、ぬるめの勇者部日常編(たまに戦うよ!)くらいでもいいかなぁと個人的には思ってるけどどうなるのだろう。

 

Infini-T Force

タツノコプロ55周年記念作品。タツノコプロ作品は『夜ノヤッターマン』しかまともに見たことがないクソにわか勢なんだけど、PVがカッコいいので視聴決定。櫻井孝宏も出るし。

おじさまの活躍がメインのタイバニ的ヒーローアクションなのかな。ヒロインはなんというか思春期の娘ポジションっぽさがすごい。全体としてはタツノコプロアベンジャーズみたいな感じがする。それぞれの作品を知らなくても楽しめるだろうか…。

それにしても3DCGめちゃくちゃ綺麗だな、と思って3DCG制作のデジタル・フロンティアを調べてみたら、アイアムアヒーローとかGANTZとか漫画実写化系映画のCGを手掛けているところだった。さすがの技術力。

 

おそ松さん 第2期

2015年10月に第1期が放送された『おそ松さん』の第2シリーズ。元は赤塚不二夫生誕80周年企画として制作され、1期放送当時は驚異的な大ヒットを記録し、おそ松さん特集が組まれた雑誌は続々売り切れからの重版、放送中に1年先まで同人誌即売会が組まれ、放送翌日のつぶやきビッグデータではほぼ毎回おそ松さん関連のワードが入るなどの社会現象を巻き起こした。

おそ松さんの魅力は、藤田陽一監督による渾身のパロディネタ、下ネタ、風刺ネタ、そして(実際には深い意味はないのかもしれないが)考察厨を満足させる意味深なカットなので、2期もそのあたりを大いに期待しています。でも今期は銀魂新シリーズもやるんだよなぁ…監督が過労で倒れませんように。

 

いぬやしき

 イブニングKC掲載の漫画原作。原作未読。PVとあらすじを読んだ感じだと、人間とは?心とは?善悪とは?みたいなテーマなのかな。

苦悩するサイボーグものだし、最終話付近で主人公と対立側の人間とで人間の本質や正義についての問答をする展開になるのかなぁ。楽しみだなぁ。PVで家族に疎まれている主人公(壮年のおじさん)の図が悲しすぎるので早く本編見たい。

 

宝石の国

 アフタヌーン連載中の漫画原作。原作未読。

人の姿をもった宝石たちの友情と戦いの物語、という感じか。非日常の中での日常というテーマが大好きなので、戦争のある世界でそれとは無関係に育まれる友情とか諍いとかがあるのだろうなぁと楽しみ。鬱展開厨としては、壊されてもかけらを集めれば復活できるという設定が鬱フラグに見えて仕方ないのでそれも楽しみ。復活できると思ってたのにかけらも残らず溶かされちゃうとかそういうやつ…。

うっかりハマるとキャラへの課金額がすごいことになる(宝石なので)とのことなので慎重に手を出したい。

 

クジラの子らは砂上に歌う

ミステリーボニータ連載中の漫画原作。原作未読。

ノーマークだったけどキャラデザと世界観が全体的に好みなので視聴決定。ちょっと前のノイタミナ枠にありそう。

ガルガンティアとかもそうだけど、漂流する巨大な(船上)都市を舞台とした話っていいよね。閉塞感のない閉鎖感と暮らしを維持するための独特な慣習、外界との接触によって壊れていく日常、そこから生じる住民の葛藤…。

漫画の表紙もすごく綺麗なので、アニメが面白かったら買おう。

 

URAHARA

オリジナルアニメ。

女子高生変身バトルもの?今期の女児向けアニメ風大きいお友達枠かな。

ゆるいキャラデザと某ぱみゅぱみゅっぽいカラーリングが可愛い。まつげが髪色のキャラ造形も個人的にめちゃくちゃ好み。可愛い。

なにかと話題の異世界スマホと同じ人がシリーズ構成という点がちょっと気になるけど、頭空っぽにして見れそうなのでとりあえず見てみよう。

 

キノの旅

言わずと知れたラノベ原作。2003年にアニメ化され、14年ぶりの再アニメ化。

キノ世代にもかかわらずラノベもアニメも通ってこなかったので、作品に触れること自体人生初というオタクにあるまじき暴挙。これを機に私もキノ入りしたい。調べてみたら過去に2回も映画化もされているのね…。

周囲の評判からも、面白いことが約束されているので非常に楽しみ。

 

鬼灯の冷徹 第弐期

モーニングKC連載中の漫画原作。2014年から3年ぶり2度目のアニメ化。

原作は1巻だけ読み、1期は途中まで視聴という中途半端な入り方をしているけど普通に面白かった。1期の時は見る時間がなかったんだ…。「じごじごじごくだよ~♪」のEDがそこそこ話題になったような記憶がある。疲れた時にご飯食べながらだらだら見る枠のアニメであってほしい。


十二大戦

西尾維新の小説原作。原作未読。

これもノーマークだったけど、西尾維新だしとりあえず視聴決定。酉の女の子が可愛い。あやねるだし。

殺し合うとか願いをかなえるとか聖杯戦争みがある。事前情報が全然ないのでまずは3話まで見たい。

 

 

以上です。

全11作品。もう1話が配信されてるのもあるけど、とりあえずは3話まで見ます。田舎なのでネット配信が中心だけど、感想もちゃんと随時アップしたい。

松野一松という男

おそ松さん沼にはまったおかげでしばらく疎遠だったニコニコ動画に久しぶりに入り浸り、片っ端からおそ松さん耐久動画を見る日々を過ごしています。

そんな中『一松というキャラが分からなくなる動画』を見ました。

www.nicovideo.jp

ローテンションに自虐をするかと思えばノリノリでコントをしたり踊ったり、迷子の猫との再会に涙を流したと思えばゲス顔キレキャラとして振る舞ったりする一松。キャラが分からないと言われるのも頷けますね。

でも、キャラがぶれているというにはあまりにも彼の行動には一貫性があり、彼の人格をよく反映していると思うんです。


松の内面を知るといえば、突然の感動回であった『エスパーニャンコ』回。この話については今更蒸し返すこともないほど様々な人が考察に考察を重ねていますね。でも積極的に掘り返していきましょう。

キモチ薬を飲んだエスパーニャンコは、

 

「なんで僕には友達ができないの」

「まぁ、そんな価値、自分にあるとは思えないけど」
「怖いんだよなぁ、人と距離を縮めるのが」
「自分に自信がない」
「期待を裏切っちゃうかも、自分が」
「(猫は言葉通じないから)だから傷つかないし」
 
と、リアルすぎて聞いてるこっちもつらくなる言葉の数々を、一松の本心として語ります。そして、
 
「友達なんかマジいらねぇ、だって僕にはみんながいるから」

 

という、一松が兄弟に最も聞かせたくなかったであろう本心を暴露し、この会話劇は終了します。この「だって僕にはみんながいるから」という言葉こそが、ブレて見える彼のブレない根底なのです。

一松は、自分が他者に対して上手く振る舞えるか、という不安を抱えています。彼が友達を作らないのは周囲の人間を敵だと思っているからではありません。むしろ反対で、人と関わることで、自信がなくて、弱気で、無価値な自分が曝け出され、周囲の人間に敵(=異物、不要物)だと思われるのが怖いからです。人の目を極度に気にする小心者、それが松野一松です。

ここでひとつ疑問が浮かびます。そんな彼が、なぜ社会から後ろ指をさされるニートとして生活できているのか?という点です。この答えが「だって僕にはみんながいるから」という言葉によって示されています。

 

上述した、ニャンコにより暴かれた本心は「人」に向けたものです。「人」とは「他人」であり「友達」になりうるもので、一松にとっては自分を否定するかもしれない、恐怖の対象です。

それと対比する形で描かれているのが「みんな(=兄弟)」であり、ダメな自分を否定しない、受け入れてくれる存在、自分を嫌うことのない存在なのです。

 

一松は、一匹狼で生きていけるほど強くありません。

それどころか、嫌われることに怯えるまでに人との関わりを渇望しているのです。一松が社会の逸脱者であるニートとして生活できるのは、彼を唯一認めてくれる「みんな」がニートだからです。ニートであろうとなかろうと結局「人」は自分を受け入れてはくれませんが、でもニートであれば、少なくとも「みんな」の仲間でいられるのです。

 
ここで、ほかの兄弟たちに目を向けてみると、意外と皆外部の人間と関わりを持っていることが分かります。
トド松は言わずもがなのコミュ力おばけで、十四松は恋もするしホームレスのおじさんに挨拶もします。チョロ松は一緒にヲタ芸をする追っかけ仲間がいて、カラ松はカラ松girls探しと称して逆ナン待ちをしています。おそ松は個人的にイヤミと遊び、初対面のアイドルに馴れ馴れしく話しかける程度には人と関わることに抵抗がないようです。
しかし一松は、兄弟以外に人との関わりを持っていないのです。猫しかいません。もちろん、カラ松も逆ナンされることなどなくぼっちで過ごしていることに変わりはないのですが、他人との関わりをもつべく努力できているという点で一松とは一線を画しています。こういったことから、一松は必然的にほかの兄弟にくらべて6つ子の繋がり強く固執することになります。
 
一松は兄弟の世界とそれ以外を明確に区別しています。コントも踊りも、兄弟ならば受け入れてくれるとわかっているからこそできる行動です。逆にハローワークでの個人面談では、受け入れられず傷つけられることをおそれ、淡々と自分を卑下することしかできないのです。日々の喜びも鬱憤も、松野一松を彩る感情のすべてを兄弟内でしか発散できない彼は、内弁慶といえる性質を持っています。(公式で"優しい人"という設定のある)カラ松に対する理不尽な態度や、扶養者選抜会議における兄弟(家族)への脅し文句がその例です。身もふたもない言い方をすると、家族、特に兄弟に対して極限まで甘えているんです。
 
さて、一松といえばスタバァでの脱○未遂ですが、その他にも、自分たちを騙したイヤミとチビ太に兄弟を代表して拇印を迫ったりカラ松に石臼をぶつけたりと、兄弟内でも特に過激な行動が随所で目立っています。
ここでのポイントは、彼が過激な行動をするときは必ず「みんな」が一松の味方についている、という状況です。6つ子が世界のすべてである彼にとって、「みんな」と同じ感情を持っているということは最強の後ろ盾です。文字通り世界を味方につけた勢いで行動できるのです。ここからも内弁慶らしい彼の性質が垣間見えます。
 
一方で、6つ子の行動に対して「帰ろう(帰る)」と発言することが多いのも一松です。一度目は就活を続けるチョロ松に対して、二度目はスタバァで働くトド松にちょっかいをかける兄弟に対して、三度目はデートする十四松を見守る兄弟に対して、「帰ろう」という言葉によってこれ以上関与しないというそぶりを見せました。これはなぜなのでしょうか。

一松は、前述のとおり本来は人目を気にする気弱な青年です。繊細でまじめな面をもつ、と言い換えることもできますね。就活もバイトもデートも、彼らの年齢的には社会的に「正しい」行為です。
まじめな一松は、6つ子の世界が壊れることを誰より恐れながらも、正しく強大な「社会」に自分たちのちっぽけな世界が勝てないことを頭で理解しています。だから一松は、社会に迎合しようとする「みんな」から目を背けることしかできないのです。正しい行為を糾弾するほどの度胸もなく、家族として応援する心の準備もない彼は、「みんな」が自分の世界に戻ってきてくれるよう祈りながら、家で待つことしかできません。
 
無関心を装いながら、誰よりも兄弟に固執し、甘え、いびつな世界と知りつつもそれを守りたいと願うちっぽけな青年、それが松野一松という男なのです。